ももなの小学生期②
おでこを縫う怪我をした&担任のせいで、
登校拒否。
そして、毒母への依存心が強まり、
「ママがいないとやだ〜〜〜〜〜」再発。
担任、それなら、と毒母を廊下に設置。
半年ほど続いて、ストーブもない廊下に
立っていた毒母を見かねた先生が、
保健室登校を勧めてくれて、
母子で保健室登校という謎な自体になったのが
小学校1年生のころでした。
未だに、この時のことを持ち出してきて恩着せてきますよ。
「あんたが小1の時、あんなに寒いところで心臓止まりそうでうんたらかんたら」
……
18年前のこと持ち出されても、だから?って思うし。
もっと言ってしまえば、産んだのはそっちの勝手でしょう?という。
これはたまに本人にも言ってあげてます。
早く孫の顔を見せろだとか
何歳までには出産してるべきだとか
世間の女性を追い詰めると、
本気で欲しかったわけでもないのに流されて
産んでしまった親になります。
そうして産まれてしまった子どもは、
かなりの確率で苦しむことになるので、
無駄なプレッシャーかけないで、と思います……。
なお、母親への共依存牢獄が当然だと思っていた幼児ももなちゃん、
「大きくなったら結婚しないで子どもを産んで、
パパとママと4人で暮らすの!」
って、恐ろしいことを言っていた記録と記憶が残ってます。
6歳頃の話です。
0歳から洗脳されてきたので、
「家を出るのが怖い」 という、
間違った安定志向を獲得していたもよう。
この呪いとも言える洗脳が解けるまで、
17年という長い月日+ネットで知り合った
「まとも」な思考回路を持つ方たちの協力と助言が
必要であるのでした……。